Palindromes(おわらない物語 アビバの場合) 

Ura2005-06-07

★★★★★

監督・脚本  トッド・ソロンズ
出演  エレン・バーキン,スティーブン・アドリー・ギアギス,リチャード・メイサー,デブラ・モンク,ジェニファー・ジェイソン・リーシャロン・ウィルキンズ


本作は五つの短編を繋げた、オムニバス調の体裁を取っている。
それぞれの物語はアビバを主人公にしているが、彼女に関わってくる人々の名前、あるいはアビバが自分につけた仮の名前を各タイトルにしている。
そして、各章に登場するアビバはそれぞれ異なった容姿を持っている。ある時は赤毛の少女であり、ある時は黒人の太った女性というように。しかし、どのアビバも中身は依然として、ティーネイジャーのアビバである。


アビバの「おわらない物語」は従姉妹であるドーンの葬式から始まる。
年若くして亡くなった、しかもどうやらデートレイプを苦にして自殺したらしいドーンの死に激しい衝撃を受けた小学生のアビバは、絶対に彼女のようにはならない、幸せになるのだと誓う。
これがつまり、彼女の「おわらない物語」の始まりであった。
そして幸せになる手段として、小学生のアビバは赤ちゃんを作ることを夢見る。
彼女いわく、赤ちゃんがいるということは、いつも誰かを愛せるということだそうだ。
そして、次の章「ジュダ」で初めて性交渉を持ったアビバは、さらに次の「ヘンリー」で首尾よく妊娠するが、両親の懇願によって彼女は中絶を余儀なくさせられる。

    • -

トッド・ソロンズはわたしの好きな映画作家の一人だが、彼の映画を観ると、いつも決まって言いようのない嫌悪感というか吐き気に襲われる。
というのは、彼の作品がいつも「善意という糖衣にくるまった悪意」を描いているからじゃないだろうか。
普通ぶってる人がいちばん恐ろしいよというのがわたしの基本的な見解だが、ソロンズ作品ではそのことをこれでもかというほど見せつけられる。
本作でもいちばん怖かったのは、すべての行為を「娘のため」という大義名分で貫こうとするアビバの両親だ。
特に母親は完全に子供に依存しきっており、いい母親になろうとする努力は見えるものの、努力がすべての免罪符というわけじゃないのだと言いたくなるほどの横暴ぶり。
しかもその横暴が涙を伴ってやってくるのだから、そりゃあアビバに逃げ道はないというものだ。


ところで母親の話はさておき、わたしが最も面白かったのは、アビバにとっての「愛」がセックスよりも妊娠によって実感されているということだ。
小学生であったアビバが「幸せになる、ドーンのようにはならない」と誓ったことからわかるのだが、彼女にとっての「幸せ」というのは、つまりイコール「アンチ・ドーン」ということらしい。
そういう理由づけもあってか、デートレイプされたりBFに中絶を強いられたりしたドーンとはまったく反対のこと、つまり妊娠と出産ということがアビバにとっては最上の幸せの象徴になるわけだ。
しかし、妊娠が幸せの象徴であるのに対し、妊娠を授ける手段であるセックスには、アビバはそれほど重きを置いてない。
それは彼女が異性に対して、こともなげに簡単に体を開くことからも良く分かる。
しかし皮肉なのは、彼女がたった一人愛したと思われる異性とは、妊娠しない方法で性交したということだろうか。
その男性とのみ、彼女は体をあわせることに対して喜びを感じるのだが、その喜びを介しては、彼女が最上の幸せとしている妊娠には、つまり出産にも達し得ないというのが、トッド・ソロンズ一流の皮肉と毒ではないだろうか。


本作の原題である「Palindromes(パランドロームス)」とは回文の意である。
つまり、上から読んでも下から読んでも同じように読める、「しんぶんし」のような言葉を指すのだが、「Aviva(アビバ)」の名前もまたパランドロームであり、アビバの辿る物語もまた結末を持たないという意味においてパランドローム的である。
ソロンズ作品に登場する人々が往々にしてそうであるように、アビバもまた自分の幸せを求めて旅に出たり、自分の人生を生きたりするわけだが、傍目には決してアビバが幸せなようには見えない。
しかし、「幸せ」とはいったいなんだろう?
万人に通じる「幸せ」の定義などというものはありはしないし、例え第三者の目からは酷い人生を送っているように見えても、本人が満足しているならば、それは「幸せ」と呼べるのじゃないだろうか。
アビバの場合はつまり、どんな状況であっても「妊娠・出産」ということが幸せなのだ。
そして、映画の結末まで来ても、依然妊娠にも出産にも至っていない彼女は、そこからまた新たなる旅に出かけるのだ。
彼女だけの「幸せ」を求めて。