バッド・エデュケーション  ★★★★☆

Ura2005-05-17



ある日、映画監督エンリケのもとに、かつての同級生であるイグナシオが訪ねてきた。聞けば、彼は俳優としての仕事を探しているという。
俳優になった幼い頃の親友とは甘美な思い出を共有した仲ではあったが、エンリケは連絡するから、と体よく彼を追い出し、二度と会うつもりがなかった。
しかし、イグナシオが置いていった、幼い頃の自分たちをモチーフにしたという脚本は思いのほか興味深く、エンリケは映画化しようと思い立つ。
しかし、映画化の企画が進むうちに、徐々にいろいろなことが明らかになってくる。

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本作は映画監督であるエンリケ(フェレ・マルチネス)が新聞を切り抜いている場面から始まる。
線の細い魅力的なエンリケがその手に鋏を持ち、新聞の片隅に載せられた物語の断片を切り取っていく姿は、物語のその後を予兆させるように魅惑的である。
そこにやって来るのが、かつての幼馴染であるイグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)。
彼はエンリケと対照的に、甘いマスクとはあまりそぐわない屈強な肉体を持ち、その上、この再会の場面では顔中に髭を生やしているという出で立ち。
この二人の邂逅こそを物語のクライマックスと呼びたいほど、この場面のイメージは美しく、誘惑に満ちており、しかも遠い昔の思い出を断ち切るかのような残酷なタッチがある。
実際、二人が再びかつてのような愛情関係に立ち戻るまでの駆け引きは、見ているこちらのほうが興奮するほど、含みと陰謀を予感させるものである。
特にエンリケを演じるフェレ・マルチネスは男性ながらも、ガエル・ガルシア・ベルナルを見る流し目のような目つきが色気たっぷりで脱帽した。


ところが、映画は終盤に近づくほど、だんだんと単調になっていく。
退屈というのは言いすぎかもしれないが、本作の軸になっている「サスペンス」の部分が、アルモドバル作品にしては安易じゃないのかと思った。
とはいえ、サスペンスとしてはわたしの好みに合わないというだけで、後半、マノロ神父が登場してからは面白くなってきたと思う。
恋と欲望に溺れる中年男の悲哀と幸福感をしっかり見せてくれたのがこの人だ。
確かに彼は憎むべき小児愛好者なのだが、恋をすれば誰にも苦しみは訪れるものだし、恋人の一挙一動に嬉々としている彼は全然憎めなかった。



一応、本作においてサスペンス的要素が重要な役割を担っていると思うので、その部分について触れるのは避けるが、ガエル・ガルシア演じるところのアンヘルの行動には首を傾げざるを得ない箇所が度々出てくる。
しかしそれはアンヘルの行動や反応が不自然だというのではなく、ああいう行動は大いにありえるという意味で、首を傾げてしまうのである。
一体、モラリティってなんなんだろう。
しかし、そもそも恋愛におけるモラリティなんてものに意味などあるのだろうか。



この映画の衣装を担当するゴルチエは、「キカ」に続き、またもや素晴らしい仕事をしている。
わたしが最初に彼が衣装を手がけているのに気づいたのは、エンリケがプールサイドで椅子に座っている場面なのだが、そこで彼はいかにもゴルチエらしい赤い(オレンジだっけ?)ニットとベージュのショーツを着ている。
このニットがまたゴルチエらしい、いやらしい素材と形なので、ゴルチエ好きの人なら一目見て見まごうことのないという代物なのだ。
それを見た瞬間、それまでに出てきた色々な衣装を思い浮かべ、一瞬ですべてが腑に落ちた感じ。
でも考えてみれば、女装したガエル・ガルシアが着ていた、スパンコールで女性の裸体を描いたようなドレスなんかをデザインできるのは、彼のほかにはいないと思うのだが。


とまあ、アルモドバル作品のスタンダードからいくと、本作はやや完成度が低いと思うのだが、このように色々楽しめたので★4つということにしたい。
でもアルモドバル作品の真骨頂が味わえるのはやはり、「トーク・トゥー・ハー」のような作品ではないだろうか。(初期のキッチュな作品も大好きだけど)


それと、これはどうしても言わなければならないと思うのだが、イグナシオの少年時代を演じている少年が本当に素晴らしかった。
その美少年ぶりだけではなく、自分に恋するマノロ神父をまっすぐに見詰める邪気のまったく無いあの目!
この子がいてこそ、マノロ神父の狂気っぷりも成り立つという意味において、不可欠な存在だと思った。