CLOSER(クローサー)★★★★☆


監督 マイク・ニコルズ
出演 ジュリア・ロバーツジュード・ロウナタリー・ポートマンクライヴ・オーウェン




本作は1997年に英国国立劇場で初公開されて以来、世界各地でヒットを飛ばし続けているという、パトリック・マーバーの戯曲を下敷きにしている。
なるほど、この映画はいかにも演劇らしい趣向にあふれている。
その時間の経過の仕方といい、会話を軸に発展していく四人の男女の関係の変化といい、よく出来た脚本だし、とても面白い。
しかし、映画となると、どうだろうか。
確かに脚本自体は面白いが、芝居と違って、出演者たちをクローズアップで見ることの多い映画においては、四人のパーソナリティがやや説明不足という気がする。
特にクライヴ・オーウェン演じるラリーに関しては特にそういう印象を受けた。
というのは、オーウェンのすばらしい演技にも関わらず、目の前に現れているラリーは一瞬ごとに変化する人格で、その時々の感情の起伏によって、まったく別の人間になってしまうように思えたからだ。
あるいは、人間の人格をいくばくかでも説明しようと、あるいはさせようと試みるほうが間違っているのかもしれない。
浮気した妻を罵倒するのも、ストリッパーの目の前で泣いてみせるのも、全部ラリーという人間なのだと言ってしまえば、それはそうなのだが。


それともうひとつ。
先にあげた、時間の経過の表現の仕方が、本作では不十分という気がした。
芝居では暗幕を挿むだけで時間の経過を表せるという便利な装置があるので、この脚本においてもまったく不便はないのだろうが、映画ではそうはいかない。
たとえば暗転の後に、「三ヶ月後」という言葉を挿む。
一度や二度ならそれも通用するだろうが、それを多用してしまうと、映画の観客はそのたびに白々しい思いに引き戻されるに違いない。
そこで本作では、時間の経過を文字で表すことなく、前の場面から継続して別の場面に移行するのだが、そこで人物たちの口から時間の経過を匂わせる台詞を言わせることにしているのだ。これが個人的にはなんとなく違和感を抱いてしまった。
台詞を言わせることで自然に時間の経過を表現したいのなら、人物たちの容姿を少し変えてみるとかしてもいいのではないだろうか。
尤も、製作側でそういう意図があることは確かで、アリスとダンが付き合ってから数ヶ月経ったことをあらわす場面では、アリスが赤毛のショートヘアーから黒に近いショートボブになっていたりするのだが。


これらを除けばしかし、本作はとても面白い。
わたしが一番興味を持ったのはクライヴ・オーウェン演じるラリーだが、ほかの三人もすばらしい。
ナタリー・ポートマンなどは、ストリッパーという職業を持ちながらも、天使のような無垢さと計算されていない世間知を併せ持つという、稀有な人格を見事に演じていた。
特に映画の冒頭で「ストレンジャー」同士のダンとアリスが出会う場面はポエジーにあふれていて素敵だ。
お互いに目を奪われている間にアリスが車に轢かれてしまうのだが、心配して傍に駆け寄ったダンの前でアリスが目を開き、「Hello, stranger」という瞬間などはカタルシスにあふれている。
一瞬、村上春樹の100%の女の子に出会う短編のことを思い浮かべたが、あの瞬間のダンとアリスはまさに、100%の相手と奇跡的に巡り会うという稀な幸福を手に入れるのだ。
勿論、その100%の恋人を手にしながらも、ダンがやがて心変わりをするという皮肉な展開がすぐ後に待ち構えているのだが、だからこそ、この脚本がこれほど面白く仕上がっているとも言えるではないか。
ほんの少し手を加えれば、もっと完成度の高い作品に仕上がっただろうと思うと残念でならない。
でも四人の登場人物はそれぞれにすばらしかったし、最後のどんでん返しも秀逸。