三年身籠る ★★★★☆

Ura2006-03-02


脚本・監督:唯野未歩子
出演:中島知子(オセロ)、西島秀俊木内みどり奥田恵梨華鈴木一真綾田俊樹関敬六塩見三省丹阿弥谷津子



主人公冬子は妊娠九ヶ月。生まれてくる子供の個性を守るという名目で、テレビも観ず映画も観ず音楽も聴かず、耳栓をして暮らしていた。
一方、子供の父親であるところの夫、徹は、職場に彼女を作り、夜遅くに帰宅する毎日。
冬子はそんな徹の行状に気づきつつも何も言わないまま、母親や祖母、妹などと子供の誕生を待ち焦がれているが、その期待とは裏腹に、子供は妊娠十九ヶ月を過ぎても尚生まれてくる気配がまるでなかった。
冬子はそのことを心配するでもなく、時折父親に宛てた投函しない手紙を書いたりしながら、妊娠生活を淡々と続けていく。

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映画の冒頭で主人公冬子は家の前を掃除している。
さあ終わろうかと思うと、落ちているゴミにふと気づき、また道を掃き始める。ゴミを拾い、また周囲を見渡すと、別のゴミが落ちており掃除を始める。ということを延々と繰り返している。
これをこのまま繰り返していくと、いずれは家からどんどん離れて山奥に入り込んでしまい、ついには海にまで出てしまうよ、と冬子は想像するのだが、妙な図である。
なにしろ、後ろ向きのまま片手に箒、片手にチリトリという姿の冬子がどんどん道をはき進んでいくのである。



そんな妙な具合に始まったこの物語は、その後一転して、家族が出来上がるまでの物語へと発展していく。
それは単に冬子と徹がまったく生まれて来ようとしない子供を介して家族になっていくばかりではなく、冬子の妹、緑子と冬子の不在の父親との関り方、さらには緑子とその彼氏である海(かい)との関係にも触れていく。



しかし、子供の誕生っていうのは、人間同士の関係を根源的に変えるほどの大きな力を持っているんだなあ、と改めて思わされた。
この映画においては、夫婦間の関係(しかも破綻しかけている)を家族にまで高めるために、子供がなんと二年近くもお腹の中から出てこないという決断!?をしているのだが、その甲斐あって冬子と徹は徐々に、しかし劇的に変化していくのだ。



ちなみに、この映画では女たちが本当によくものを食べる。
冬子の家族はもともと女系家族で、墓参りやら葬式となると、見事なほど女ばかりが集まるのだが、そこでは必ず見目に華やかでうまそうな弁当だの食事だのが供される。
それに比べると、男たちの食生活というのはまったく貧相なもので、お腹が大きくなりすぎた冬子を助けるべく、台所に立つ徹の作る料理などは、ゴーヤ入りスクランブルエッグだの、岩とも見まごうような形のから揚げだのと、まったく食指が動かない上、決まって一品だけなのだ。
この辺の食欲と家族の関係性というのも、もうちょっと考えてみたいところではある。



冬子の妹である緑子の存在が、冬子との面白い対照をなしているように思う。
緑子はボンデージパンツやら安全ピンをたくさんくっつけたセーターを着ているといった、パンクファッションに身を固めた若い女性である。性格も末っ子らしく、奔放でわがまま。やりたい放題である。
そして父親の不在を冬子とは別の形、つまり、父親と同じくらいの年頃の男とつきあうことによって埋め合わせている。そこに彼女の歪みがあるわけだ。



なんだか、考え始めると、他にも色々出てきそうなのでこの辺で。
とにかく、三年も妊娠し続けるといった突飛ともいえるアイディアが物語の中心に据えられているわりには、そのことに対する違和感があまりないのが、この映画のすごいところではないだろうか。
そして、夫役の西島秀俊が相変わらずものすごく良かった。
この人は何をやらせても、しみじみとしたうまさと自然な存在感を出す、良い役者になったなあと、いつも思う。
前回は「メゾン・ド・ヒミコ」で次々事務所の女の子をたぶらかす、ぎらぎらした感じの土建屋の社長を演じていたのが信じられないほどだ。