Ura2004-05-27

スイミング・プール」★★★★★

マイナー受けのオゾンと認識していたのが、どういうわけか平日午後の回にも人が大勢入っていて、なんとなく釈然としない。
やはり、「8人の女たち」効果なんだろうか。ドヌーブがファニー・アルダンとキスしてみたり、イザベル・ユベールがメガネを外すと美人だったりするから?

しかし、「スイミング・プール」はものすごくよかった。
これまでのどの映画とも雰囲気が違うようで、また似ているようでもある。主役のシャーロット・ランプリングも「まぼろし」とは全然違う外観と役柄だし、見ている間にどんどん引き込まれてしまった。
しかし、シャーロット・ランプリングを相手に堂々と向こうを張ることの出来ていたルディヴィーン・サニエ。多くの場面でぴちぴちの裸体を披露しているのだが、顔があまりにベイビー・フェイス過ぎて、あまりセクシーさを感じなかった。
とはいえ、考えてみると、「セックス・シンボル」と呼ばれていた人たちは一様に、見事な肢体とはアンバランスなほどあどけない顔を持ち合わせているというケースが多いように思う。モンロー然り、バルドー然り。
それに、顔なんてのは化粧でいくらでも化けることが出来るものね。実際、サニエだって初めて作中で登場する場面では、かなり太いアイラインを入れる事でコケティッシュな雰囲気を作っていたもんなあ。
それに比べて、すっぴんの時の赤ちゃん顔といったら!かわいすぎて、体を晒す意味がないような。

ところでこの映画、サスペンスだとばかり思って見ていたのだけれど、作中で起きる殺人は、実は犯人も動機も殺されてしまう人も全部明らかなのだ。
では、あの音楽といい、なにがサスペンスなのか?と思うのだが、いちばん分かりやすい説明としては多分、入れ子のような仕組みになった作中物語というやつなのかもしれない。
あんまり分かりやすぎて、解釈としてはちょっと陳腐かもと思うのだが、これがいちばん筋が通る気もする。

それにしても、あんまり見事な映画だったので終始うっとりしてしまった、と言いたいところなのだが、実はシャーロット・ランプリングの手がスクリーンにアップになるたび、目が釘付けになっていた。
奇妙なことを言うようだが、ランプリングの手があまりに大きく、しかも太い指を持っているせいで、まったく目が離せなかったのだ。指のその太さや皺の寄りようと言ったら、彼女の華奢な体型や美しい顔立ちとはあまりにも大きくかけ離れていて、まるで独立した器官のように思えるほどだ。
しかも、あまりに大きいため、なにをやっていてもぎこちなく、不器用そうに見えるのだ。
映画の始めの方で、南仏の小さな村のカフェで、彼女が一人で食事をする場面が何度かあるのだが、まるでなにかの恨みでも晴らすような勢いでエクレア(シュー・クリームだっけ?)を食べるところを見ていると、なんとなく妙な気持ちになってしまった。あまりにも凄まじい食べっぷりや、食べ終えた直後ににやっと笑ってみせるところ、フォークとナイフの使い方などなど。あまりにも粗雑で暴力的なのだ。
大体、外で食事をする時以外は巨大なボールに入ったプレーンヨーグルトと生のトマト2つ、そしてコーラ(多分ダイエット)っていうメニューもおかしいではないか。
全てのことにおいて確信犯的な罠を張り巡らしているオゾンのことなので、この食事内容や作法だって、根気良く考えた末にわざわざ選ばれたものに違いないのだ。しかも、この粗末な食事内容が、サニエ演じるジュリーのセックスを目撃した後くらいから変わっていくことからして面白いではないか。

とりあえず、見たばかりであまり考えがまとまっていないのでメモ的に気になったことだけ書いておく。
途中で庭師のマルセルの娘が出てきて、小人だったっていうのも、下手な?小説家が書いたことっぽいかなあ。彼女が小人である必然性とかがなく、そこだけ妙に浮き上がっているような印象があった。
それと、ジュリーの連れ込む男がいちいちデブだったりハゲだったりするというのも、伏線の一部なんだろうか。
そして、やっぱりオゾンの映画には「父」はいないのだな、という確認。