マカロニ ★★★★★

Ura2004-08-26


エットーレ・スコラ監督、ジャック・レモンマルチェロ・マストロヤンニ出演という夢のような映画、「マカロニ」を観た。


物語は40年前のナポリで親友同士だったアントニオ(マストロヤンニ)とロバート(レモン)が再びナポリで出会うところから始まる。
ところが、大会社の副社長になっているロバートは仕事に忙殺される毎日で、当時のことをまったく覚えていないので、突然ホテルの部屋に訪ねてきたアントニオのことを不審者と思い、ひどいことを言って追い出してしまう。
一方のアントニオというと、40年前に別れたきりのロバートのことを長い年月の間、変わらず親友で素晴らしい人間だと思い続け、向こうも当然自分のことを覚えていてくれるだろうと思っていたので、そんなロバートの態度にいたく傷ついてしまう。
そんな行き違いをしてしまう二人だが、アントニオが40年前に撮ったロバートとアントニオの妹マリア(二人は恋人同士だった)の写真をロバートの部屋に忘れていってしまい、ロバートはそれをアントニオの自宅まで届けることにする。



二人の偉大な映画スターが共演しているというだけでも見ずにはおれない豪華さだが、作品自体もエットーレ・スコラ的寓話的要素に満ちた素敵な映画である。
そもそもジャック・レモンマルチェロ・マストロヤンニがそれぞれにはまり役というような役をたくみに演じていて、どこかで見たことがあるような既視感に襲われてしまう。
というか、ちょっと観始めたところで気づいたのだが、この映画、ずいぶん前に観たことがあるのだ。もっとも、最後までちゃんと観た訳ではなくて、どこかでちらっと観たに過ぎないようだけれど。

しかし、この映画を観ていると、ほんとうに終始胸が暖かくなってしまう。
というのは、40年もの間まったくの音信不通だった友人のことを、アントニオは盲目的なまでに信じているのだが、彼の友人に対する信頼と愛情はほとんど行き過ぎていて、ロバートがアントニオの家を訪ねると、会う人会う人が彼のことを知っていたりするのだが、それはまさに、40年もの間アントニオがロバ-トについて語りつくした結果なのだ。
その上、ナポリを離れて以来音信不通になったロバートと恋仲にあったアントニオの妹マリアは、彼の不在と情けなさを思い煩って涙に暮れる日々を送っていたそうだが、それを慮ったアントニオはとうとう嘘の手紙を書き始める。
それはまさに、親友をヒーローに仕立て上げて綿々と紡がれる物語であり、やがてマリアがほかの男と恋に落ちて結婚をしても、アントニオは友人を騙った偽手紙を書き続ける。
それはおそらく、家族全員がロバートの手紙を待ち続けているだけではなく、アントニオ自身が手紙を書くことによってロバートとのつながりを持ち続けていたからなのである。

そんなアントニオの献身的とも言える友情は、大会社の副社長としての日々を忙殺されていたロバートの心をもこじ開けていく。
再会したばかりの時はアントニオを金目当てに頼ってきた不審者のように扱ったくせに、やがてはアントニオと共にババ(アイスクリームのようなお菓子)で口の周りを真っ白にさせながら、馬鹿笑いして歩くようになるのである。

ところがそんな二人の友情も、アントニオの息子の危機をロバートが救ったことで絶頂に上り詰めたように思えた途端、一気に突き落とされてしまう。ロバートがちょっと買い物しに場を離れた数分の間に、アントニオが死んでしまったのだ。
このアントニオの急死する直前、二人は海岸を話しながら歩いているのだが、その時のアントニオの苦しそうな顔といったら無い。
ロバートが嬉しそうに話をしながら有頂天になっているのとは対照的に、アントニオは弱々しく咳き込み、背中を丸めて歩いている。
アントニオがタバコとコーヒーの飲みすぎのせいでしょっちゅう咳き込んでいるとは言え、このときに様子はちょっと見てもただ事ではない。前の場面がドラマティックならドラマティックなほど、次にくるカタストロフの大きさを観客は予期してしまうのだ。




つまりこの映画は、友情という愛の一形式についての寓話であり、人を信じることへのオマージュというか勇気付けですらある。
この物語がナポリを舞台にしているというのもいかにも似つかわしく、町全体がアントニオの親戚のように付き合っているのも、そしてそもそもアントニオのあの性格が形成されたというのも納得出来る気がする。(しかも犯罪の巣のような町でありつつ)
アントニオとロバート以外の人物もみな魅力的で、特にアントニオのお母さんは素敵過ぎる。
人の運命を見通せるような神通力を持っていながら、息子に暴言を吐くあたり、イタリアのママっぽいなあ。
そして、もしかしたら余計なことかもしれないが、エンディングも素晴らしい。
エンディングにいたるまでの伏線がとても効果的に生かされていて、最後には大きなカタルシスがやってくるという、御伽噺っぽい終わり方である。
しかし、こういう映画がまったく嘘っぽくないのは、監督の演出もさることながら、やはり尋常ではない偉大な俳優二人があってのことだと思う。この二人が既に鬼籍の人なのは、ほんとうに映画界にとっては惜しまれることだよなあ。