サッカーが変わった日


ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える (中公文庫)

ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える (中公文庫)





最近読んでいるのは、またもやサッカー本。
伝説のフライング・ダッチマンこと、クライフの本だ。
クライフとリヌス・ミケルス監督のふたりが、70年代当時どのようにして世界のサッカーを変えたかということが描かれていて興味深い。
この本を読むと、現在では主流となった「トータル・サッカー」が当時いかにあたらしいものだったのか、いかに画期的な変革だったのかということがよくわかる。
勿論、現在ですら、トータル・サッカーを実現するのは簡単なことではないが、これが機能すれば、これほど見ていて面白いサッカーもないのだ。

「トータル・サッカー」というのはなんなのかというとつまり、従来の前後にきっちり分断された攻守によっての試合展開ではなく、全員で攻撃し、全員で守備に当たるというサッカーのことだ(わたしが理解したところによると)。
FWはボールをゴールに放り込むだけで良いというのではなしに、MF的な動きも要求されるし、必要なら守備だってしなくてはならない。
つまり、現在サッカーの主流となっているようなゲーム展開のことである。


この本を読みながら、今年ベガルタ仙台ズデンコ・ベルデニックが実現しようとしていたサッカーこそがこれなのだなあと思い当たった。
そう考えるとシーズン前半にズデンコが選手の能力と目指すサッカーの折り合わなさについて色々批判めいたことを言っていたのにも納得がいくような気がする。
勿論、監督というのはどんな状況であっても選手を名指しで批判するべきではないし、理想と現状の乖離がそれを正当化するものではまったくないと思うのだが、それにしてもやはり、今年のベガルタズデンコの掲げた理想を現実化できるほどレベルの高いチームでなかったことは明らかだ。
実際、このトータル・サッカーに関してクライフ自身が「大事なのは選手だ」と言い切っているし、トータル・サッカーを実現するに当たっては、各選手の高い個人技が要求されることは自明の理だ。
それは細かいパスつなぎ、サイドチェンジなどに集約されるが、このサッカーにおいては運動量の豊富さなども従来とは比べられないくらい重要になってくる。
そして当然だが、チームとして機能するためには、高い能力を持った選手間のコミュニケーションがもっとも大切なことである。
細かいパス繋ぎをするにしてもサイドチェンジするにもコミュニケーションなしでは、まったくお話にならないということは、素人のわたしにだってわかることだ。
しかし、いかに実現困難であろうとも、これは実に試す価値のある素晴らしいサッカーなのだと思わざるを得ない。