エターナル・サンシャイン ★★★★☆


チャーリー・カウフマン脚本による最新作。
なによりも、アイディアが秀逸というほかない。
愛情というのは得てして相手のことよりも自分のことにかまけることが多くなってしまい、果てには単なる自己愛の投影行為になってしまうのもよくあることだ。
このクレメンタインとジョエルの場合も、それにやや似ている。
相手のことを考えるよりも、自分が抱えている思いや問題に耐え切れなくなり、ついにはその問題すらも起こらなかったことに、つまり相手が存在しなかったことにしてしまうのだ。
それは要するにリセットボタンを押す行為だ。
そんなことをしなくても人間は忘れるという行為に長けているのだから、時間が流れるのを待てばよさそうなものだが、当事者はそうは思わない。
恋人が関与した記憶だけをきれいに切り取って、それによって派生した苦しみも喜びもすべてなかったことにしてしまおうというわけだ。


ところが、記憶を削除したところで、恋人に対する愛情や思いの深さが簡単に消滅するのかというと、そうでもないらしい。
いったんは記憶削除に同意したジョエルも、実際に記憶削除の作業が行われるや、無意識裡に猛烈な抵抗を始める。
脳内で出会ったクレメンタインを奪われないよう、なんとか自分の記憶の一番深いところまで連れて行き、隠しとおそうとするのだ。
そして美しい記憶が次々によみがえる。
喧嘩したことや、クレメンタインが出て行った夜のことばかりではなく、二人が初めて出会った時のことや、他の多くの素敵な思い出が次々に襲ってくる中で、ジョエルはなんとか彼女のことを忘れたくないと思う。
この場面は実にロマンティックで、見ているだけで心浮き立つようなエピソードに満ちている。
夢なのですべてのイメージが断片的であることも、このポエジーに貢献していると思うのだが、クレメンタイン演じるケイト・ウィンスレットの髪の毛が時によってオレンジだったり、ブルーだったり、枯葉色だったりするのも、映像的にかなり美しい。
しかし、このポエティックな場面も長すぎると徐々に辟易してくるというのも事実である。
この映画で一番の見せ場であるこの夢の場面が、時間とともにどんどん重苦しくなってくるというのは、本当に残念だった。
そして、それ以外にはあまり見せ場がないというのも事実である。
エンディングがアイディアの奇抜さに比べて、やや平凡すぎるというのが一番の理由なのかもしれないが、新鮮で目新しい物語だったのが、終わりに近づくにつれて徐々に魅力を失っていくのは見ていて辛かった。


とはいえ、抑えに抑えた演技で、平凡な毎日を送る男を演じたジム・キャリーと、エキセントリックで寂しがり屋の女性を演じたケイト・ウィンスレットは素晴らしかった。
特にジム・キャリー
普段のやりすぎた演技を垣間見させる瞬間はほとんどなく、時折見せる陰鬱な雰囲気には舌を巻いてしまった。
平凡でありながら、奇妙な絵を日記帳に書き付けたり、自己韜晦に満ちた独り言を言ってみたりと、かなり魅力的な人物になっていたのじゃないだろうか。
この映画がここまで感動的な作品になったのは、二人の力によるところを多としている。