かなしみと滑稽さと

「リンさんの小さな子」という本を読んだ。
川上弘美が号泣したという謳い文句が帯に記されているのだが、
なるほど、
平易で美しい文章の中に延々と続く死の予感。
戦火に見舞われた祖国を捨て、息子の子供と共にやってきた異国の地は、
物珍しいが故にエキゾチックで魅惑的だが、
そこには彼を留めるものがなにもない。
しかし、
やがてリンさんは言葉がまったく通じないながらも
心の通い合う友を見つけることとなる。


この本を読んで、なんとなく思い出すのは、フランソワ・オゾンの映画「まぼろし」だ。
かの映画でシャーロット・ランプリング演じる女性は夫を失ってしまうが、
その事実を受け入れることが出来ず、
まぼろし」を見続ける。
つまり、
夫の死を受容できないことで、
彼の姿を見続けなければならないのだ。
その姿はかなしく、
おかしい。
かなしみというのは、
根本のところで滑稽さと分かちがたく繋がっているのだ。


この「リンさんの小さな子」もまた、
その悲劇性がそのまま喜劇性にと続いている。
作中で起こることはあまりにもせつなく、嘆息をついてしまいそうになるが、
同時にそこはかとない笑いを誘うものでもある。
それがつまり、かなしみというものなのだと。


リンさんの小さな子

リンさんの小さな子