ばななと詠美

最近、新刊がいろいろ出ているので立て続けに読んだ二作。
よしもとばなな著「チエちゃんと私」と山田詠美著「無銭優雅」。

前者はなんというか、もうはっきり言って小説の域じゃない。
一度しか読んでないので、こういうことを断言していいのか迷うところだが、日記だし言いたいことを言うべきだと思うので書いてしまうが、
もうばななは突き抜けてしまいすぎて、小説を書くに足る闇が彼女の中にはないのじゃないかという懸念を感じる。
この「チエちゃんと私」では、主人公がネガティブな感情に飲み込まれそうになるたびに、「こんなことをやっちゃ駄目なんだ」と言って正しい行いばかりをしたり、
「チエちゃん」という親戚の子(といっても中年。しかも後に親戚じゃないことが発覚)への親のような手放しの愛が縷々つづられているのが、
懇々と「こうやって生きるとヨシ」と言われているような気になるのは、単にわたしが修行不足なせいなのか。
そして、
イタリアへの過剰としか言いようがない幻想と崇拝?愛情?にむせかえりそうになる。ほんと、過剰。

しばらく前に出した「みずうみ」という作品が恐ろしく静謐で美しい作品だったので、本作にはやや失望。
もうこういう本はたくさん読んだよ、というのが正直なところだ。

とはいえ、ばななが興味深い作家であることには間違いないので、次に期待。
興味深いということと、すきということは違うので注意。

チエちゃんと私

チエちゃんと私


「無銭優雅」はこれまたなんというか、ずいぶん前に読んだ同著者による「ラビット病」を彷彿とさせる、恋愛べたべたの作品だ。
とはいえ、彼女は「PAY DAY」以来、家族の物語をつむげるようになったのだなあ。
中年の(まただ!作家が中年だからか!?)主人公が同居している両親との関係に時間と労力を割けるようになっているのは、やはり作家(つまり主人公も)が中年になったという証なのだろう。
そして、これまた二世帯同居で同居している姪(兄の娘)との関係もなかなか良い。
しかも姪の一人とは仲良し、もう片方の姪とは犬猿の仲、というのもリアリティがある。
「リアリティ」なんか犬に食われろという意見もあるが、血縁というもののおぞましさと愛しさを一つの物語の中で、いとも軽やかに見せてくれるのは、やはり作家の筆力というべきだろうと思う。

ちなみにこの作品には、各章毎にさまざまな作家による作品の断片がコラージュされていて、それが本筋以上に物語のトーンを左右しているように思う。
主人公が恋に落ちる相手が塾で日本語を教えているということも関係し、日本語に関する薀蓄がずらずら出てくるのも手伝って、面白い対比を作っていると思う。
こういう引用のコラージュが延々と出てきてもまったくいやみじゃないどころか、本編中で不思議なスパイスとなっているのも計算されつくした効果なのだろう。

それと、主人公が恋に落ちる相手はもう黒人じゃないのだな、と今更だが思う。
そういえば最近の作品では、別にもう黒人の恋人は出てこないし、「ブラザーがなんたらうんたら」という文章もしばらく読んでいないのに、やはり山田詠美というと黒人のイメージが強い。
刷り込みというのは恐ろしいな。


無銭優雅

無銭優雅