日曜の朝だというのに、早起きして骨董市なんぞに行ってみた。
一応の目当ての品は箪笥。それも仙台箪笥とか庄内箪笥、船箪笥のようなごついものを探していたのだが、それは要するにとりあえずの目安なのであって、無ければ無いでまったく構わないという、殆ど冷やかしに近い気持ちだった。
しかも朝、一度目に目が覚めた時には朦朧とした頭ながらも、雨音を聴いたような気がしてカーテンを開けてみると、ガラス越しの見た目にはよくわからないが音の感じからして雨が降っているようだったので、二度寝してしまったのだ。
そんなわけで、朝早く始まるのが常の骨董市に出かけるには時間も比較的遅くなってしまっていたし、それくらいの気分で丁度よかったのだ。

家を出る頃には雨はすっかり止んでいたが、ここしばらくの天気と比べると今朝は肌寒いような朝だった。
しかもわたしは朝がものすごく苦手なので、出かける前には水以外は何も口にしていないし、機嫌も絶好調というわけにはいかない。
とはいえ、15分程度車を走らせる間には気分も大分盛り上がってきて、到着するや参道のいちばん手前にある店から見始めた。

出店している店によっては雨に備えてビニールシートをテントのようにして掲げていたりしたが、殆どの店は普段通りの様子だったし、店を物色して回る人も天気の割にはそこそこ多いようだった。
この骨董市の楽しみは店を見て回る事は言うまでもないが、客の中に和装で出かけてくる人などが多いことも挙げられる。
大体、既に言った通り、骨董市というのはそもそも早朝に始まるのが常なのだが、それにも関わらず朝っぱらから、きちんと着物を着てくる女性などを目にすると、もうそれだけで感心してしまう。しかもそれが一人二人というような数ではないので、そういう客とすれ違うたびについほうっとため息をついてしまうのだ。
ところで、そうこうと店を覗いて回っているうち、ふと目の前を向こうからやって来た見覚えのある人。見覚えがあるどころか、一目見ただけですぐ昔お世話になった先生だとわかったので、つい口から言葉が出てしまった。
この先生と最後にお会いしたのは確かもう大分前のことだが、わたしが学生の時には一緒に飲みに行ったり、留学していた頃には日本から谷崎の古い本を送ってくれたりと、色々近しいお付き合いを途切れ途切れながらさせてもらっていた。
というのも、この人はわたしの知っている中でも一二を争う頭の良い人で、わたしの文学や芸術に関する趣味は全て、この先生の影響を強く受けていると言っても過言ではないほどだ。
しかも、頭が良いというだけでは無く、類を見ないほどの変態でもある。変態といっては誤解を招くだろうか、個性的と言い換えても良い。しかし、個性的などという手垢にまみれた言葉は、彼にはまったくそぐわないほど、他の人より頭が一つも二つも抜けている人なのだ。
しかも駄目押し的に男前と来ている。男前なのに、細い声でなよやかに喋るのも変態的ですごく良い。島田雅彦に通じる雰囲気を持っているといえば、少しはその空気が伝わるだろうか。
そういうような彼なので、当時から彼をめぐる評価は、わたしの周囲だけでも極端としか言いようのないものだったが、わたしはこの先生がだいすきな上、とても尊敬してもいるわけだ。
だからこそ、久しぶりに会うと、自分が馬鹿をさらけ出すような下手な発言をしないか、などと緊張してしまう。
はっきり言って、これまでの人生で実際に会って脚が震えるほど緊張したのは画家の金子国義だけだが、この先生には会うたび、そして口を開くたびに緊張してしまうのだ。

とまあ、わたしの彼に対する敬愛の念を書き連ねていくとキリがないのでこの辺で止めるが、久しぶりに市場で立ち話をしながらついつい感嘆してしまった。
というのは、彼が殆ど変わっていなかったからなので、考えてみると当時幼稚園児だか小学生だった彼のお子さんも今では高校生だというのに、父親たる彼自身はまったく変わっていないのだ。だからこそ、遠目にも彼だと即座にわかったわけだ。
まあ、かく言うわたしもしばらくぶりにお会いしたにも関わらず、一目で認識してもらえたようなので変わってないようなのですが、これは蛇足。

あまりはかばかしくない近況報告を交わしたり、具にもつかない立ち話のあとは、先生の電話番号を教えて頂いて別れたのだが、この日はそれ以降、ずっと微妙に浮かれていた。
というのも、別れ際に、近いうちにお茶にでもいらっしゃいとお誘いを受けたからなのだが、そのことを考えるたび、喜びばかりか今から不安のような緊張に駆られるのが我ながらおかしい。
一緒にお茶を飲みながら一体なんの話しをすることになるのだろうか。そして先生のわたしに対する評価、いかんや、というところだろうか。