まんが喫茶のスカパーでベガルタ戦を見た帰り道のこと、最近家の近所で見つけた古本屋に立ち寄ってみることにした。
この古本屋は店構えからしてかなりかわいらしい様子で、店の前に火鉢を囲むようにしてベンチが幾つも置いてあったり、無造作に置かれた蛙の置物や陶器の花器に水が張ってあるなど、ちょっと普通の本屋とは趣を異にしている。しかも、ベンチの周囲に置かれた植物の類が鬱蒼と茂っているところなどが魅力的だ。
入り口をくぐると店の奥まで見通せるほどの小さな店だが、四方には天井まで本のぎっしり詰まった本棚が置かれ、まるで個人の蔵書ではないかしらんと思うほど、棚に雑多に詰められた本に目を奪われてしまう。
というのは、そんな小さな店であるばかりか、一見まったく商売する気のないようにすら見える本屋なのにも関わらず、品揃えがすごいからでもある。しかもよく見ると、結構珍しい本でも安い。
店の奥には一段高くなった店主用のスペースがあり、そこには季節外れのコタツが何故か真ん中に陣取っているだけでなく、店主がまったくやる気のない様子で、店の客らしき人とお茶を飲みつつ歓談しているのだ。
どうにもこうにも奇妙な店ではある。しかしだからこそ異様に興味をそそられるというか、まったく商売する気のなさそうな店主に対して、同じ本好きの人間としての連帯感のようなものすら感じてしまう。

そんな思いを抱きつつ本を物色していると、客と話が一段したらしい店主が「お茶飲みますか?」と話しかけてきた。言葉に甘えてご馳走になることにすると、中年をとうに過ぎたくらいの店主が色々話し始め、わたしも自然座って彼と話しこむ形になってしまった。
話自体は大したことではない。お互いにもっぱらなにを好んで読むとか、本屋を開くに至った経緯などを聞いたりしていただけだ。でもその間に、お菓子を食べたり、お茶のお替りをついでもらったりしつつ、本の話をして過ごしてしまった。
しかも終いにはなんと、初対面だというのに、その後やって来た客と一緒に、店から二分ほどの所にあるらしい店主の自宅へ行くからと留守番を頼まれる始末。
大丈夫かなあと他人事ながら心配しつつも、店番をしつつ、お茶を飲む気分は夏の夕暮れにふさわしい気だるさと満足感に満ちたものであった。
まるで自分が小さな本屋を、本の溢れかえった空間を所有しているかのような。

ところで蛇足だが、今日買って帰った本は河野多恵子の「谷崎文学の愉しみ」。
まだ読み止しだが、谷崎潤一郎の文学的変遷を彼の生涯のエピソードなどと照らし合わせながら詳細に書かれているので面白い。
好んで繰り返し読んでいる作品以外は、随分昔に読んだきり、あまり覚えていないような作品のことも網羅してあるので、谷崎作品をひっくり返して読みたいような気持ちに駆られる。

しかし、こういう小さいながらも愛情に溢れた本屋を見つけてしまうと、だからわたしを含めたこの町の住人は、ここを出て行けないんだろうなあ、としみじみ思ってしまう。
多分、同じ町に住んでる人だったら、この店のことはすぐに分かってしまうだろうなと思う。それほど、ちょっと他にはない古本屋なのだ。

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