ここ二日くらいでP.オースターの本を二冊読んだ。一冊は「Hand to Mouth」、もう一冊は「最後のもの達の国」だ。
前者の「Hand to Mouth」は若き日の自分の体験を綴った自叙伝的な作品だが、作家自身による自伝なんて額面通りにはあまり受け取れないよなあ、と思ってしまうのは穿ちすぎだろうか。
とはいえ、これが自伝であろうと、体験を下敷きにした自叙伝的色合いの濃いフィクションであろうと(三島の「仮面の告白」のように)、作品として面白い事には間違いがなく、いかにもオースター的エピソードのオンパレードだ。
例えば、若き日のオースターは懐が寒いにも関わらず、二足のわらじを穿くのを嫌って常に作家であることにこだわっていたのだが、フランスで暮らしていた頃は即金稼ぎの仕事なども色々していたようで、マダムXと呼ばれる人のために雑用をこなしていた。
ある日、彼はいつものようにマダムXに呼ばれ仕事を言い付かったが、それがなんと映画用のスクリプトを書くという仕事だった。その仕事はオースターのほかにも二人の人間が呼ばれていて、三人で仕事をやっつけることになっていた。ところがしばらくすると一人、もう一人と部屋を出て行き、気がつくとオースターは一人残されている。
仕方が無いので、二人を待つ傍ら仕事を始めることにするが、そこに直属の上司のような男がやってきて、もしもその日の7時までに仕事を終えることが出来たら、他の二人分の給料もオースターのものになるという。
常にお金に困っている彼は、やってみましょうと請け合い、その仕事を見事時間までに完成させる。そして、それをきっかけに彼はマダムXの夫であるムッシューXに気にいられ、それ以外の脚本起こしの仕事を依頼されることになるが、このムッシューXというのがまた謎の多い人物で、彼はまるでギャング映画の一部にでもなってしまったかのような錯覚に陥る。
なにしろ、ムッシューXとのアポイントメントというのは、いつもある日突然向こうからやって来るだけで、迎えの男(それはいつも決まって男なのだ)がドアを叩き、階下に車を待たせてあるからすぐに来いと言う。ムッシューXがお呼びなのだ。
この辺のエピソードなんかは、後にオースターが書いたミステリー調の作品に投影されていて、彼の愛読者には親しみ深い雰囲気が漂っている。多分、この作品があまり自伝のような気がしないのは、彼の書いたフィクションと重複している部分がそのように沢山あるからなのだろうと思う。
因みに彼はその後大分経ってから、生計を立てると言う目的だけのためにハードボイルドの刑事物ミステリーを書いたようだけど、それは出版されるまでに四年を必要とし、ようやく出版されても出版社自体が倒れてしまい、結局は絶版の憂き目にあってしまったらしい。
現代で最も才能のある作家の一人であるポール・オースターがそんな苦境の時代を過ごしていたとは、俄かには信じられない気持ちでいっぱいだ。

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後者は寓話的色合いの濃い作品で、逆ユートピアのような世界を描いた作品なのだけれど、寓話的でありながら、現代のどこで起こっていてもおかしくないような緻密な描写が特徴的だ。
主人公アンナが入り込んだその国は、どういう理由でそうなったのかは全然明らかにされないが(粛清が何度か起こったことは知らされる)、酷く荒れ果てた世界で、人々がその日食べるものを手に入れるだけでも膨大な労苦を伴うというような場所だ。
それはまるで戦争直後を彷彿とさせるような世界で、人々はたったひとかけらの食料を手に入れるだけのために他人から強奪し、時と場合によっては人殺しも辞さないといった荒んだ状況だ。
しかも、そういった時によく見られるように、一部の要領の良い人々が闇市を支配し、うまい具合に立ち回り、権力と金を手に入れる。
ほんとうに読んでいるだけでうんざりするような作品とも言える。
とはいえ、この作品は現代社会に対するアンチテーゼというわけでも、寓話の形をとった説教というわけでもない。これは飽くまで、「あり得た世界の物語」なのだ。
この世界がわれわれの世界の近未来というわけでも、近過去というわけでもない。でもそれはいつでも、われわれのすぐ近くで暗闇に続く口を開けて待っている、というような雰囲気があるところがいちばん怖いところなのだけれど。

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