「偶然の祝福」 小川洋子著

「偶然の祝福」読了。
この本の中の短編はどれも、著者自身を思わせる小説家が主人公なのだが、相変わらず小川洋子らしい不可思議で透明感のある物語に仕上がっている。

わたしが特に気に入ったのは「エーデルワイス」という短編で、ある日主人公である小説家の目の前に自称弟と名乗る男が現れる物語だ。
偶然としか思えないようなタイミングで姿を見せた自称弟であり、主人公の偏執的とも言えるほどの愛読者は、どう考えても主人公のほんとうの弟ではなく偽者だ。
というのは、本物の弟は21歳の年に亡くなってしまっているからだ。
ところが、冷静に考えれば明らかな真実さえも、弟の死がずっとある種のトラウマになっている主人公には混乱の種にしかならない。自分で「偽者なのだ」と言い聞かせなければ、その男がほんとうに弟なのではと思い込んでしまいそうになってしまうところに、この物語の切なさがある。
悲しみとはあらゆる論理を超えたところにある混乱なのだ。

この弟がある日突然現れたのと同様、ある日を境に消えてしまうのもまた、小川洋子の世界らしい。
その時主人公は恋人の子供を妊娠しており、数ヶ月の間外出できないのだが、悪阻(つわり)がようやく治まって外出してみると、それまではしつこく付きまとって離れなかった男の影が全く感じられないのだ。

弟の二度目の消滅。

それは、もしかしたら、主人公のおなかの中に芽生えた命に自分の使命を託すことで起きたことなのかもしれないし、そうではなく、男がほんの気まぐれに消えてしまっただけということかもしれない。
考えてみれば、弟でもなんでもない見知らぬ男が、ある日を境に自分の身の回りをうろうろし始めたのだ。これほど気色の悪いことはなかろうし、その男がましてや、自分より大分年上でマニアックとも言える自分の小説の愛読者、そしてどう見てもハンサムとは言いがたい不細工な男だとしたら、向こうから消えてくれるなら、これほど嬉しいこともあるまい。
ところが、残された主人公の心には一抹の寂しさがある。
寂しさといって言いすぎならば、欠如感と言い換えてもいい。どちらにしても同じ事だ。
とはいえ、二人目の弟が消えてしまった事実には変わりなく、主人公は再び一人残される。
後に残されたのは、いつか偽者の弟が歌ってくれた「エーデルワイス」の音楽と主人公だけだ。
しかし、言い換えれば、主人公にはいつも「エーデルワイス」が残ったということになるのかもしれない。