再読 村上春樹

村上春樹著「レキシントンの幽霊」を再読。
同書が発売されたばかりの頃は結構さらっと読んだような記憶があるのだが、今読んでみると、初期の頃とはまったく違う短編としての面白さに溢れた作品だと思う。
特に最近映画化されたことでも話題?の「トニー滝谷」とかは結構異色なんじゃないだろうか。
アメリカ人の血なんて一滴も入ってないのに、トニー滝谷なんてふざけた名前をつけられ、現実的な面ではまったく無能同然の父親に完全に放擲されて育った男、それが「トニー滝谷」。
そんな風にして育った彼が周囲のものにまったく感動を見出せないのは当然の成り行きとも言えるが、彼がついに見つけた心を揺さぶる存在である妻が、結婚しばらくしてあっけなく死んでしまい、しかもそのあとには彼女が情熱と狂気の限りを尽くして買い求めた山のようなブランドの洋服が残り、そしてしまいにはたった一人の血縁である父親も死んでしまう。
こうしてざっとあらすじだけ書いてしまうと、なんだか救いのない話のように聞こえるし、ほんとうに救いなんてないのかもしれんないが、物語が進行していく過程ではポエティックな場面がいくつも出てきて、何か心に残る物語である。


それにしても、以前さらっと読んでしまえた本を再読して、その価値を見直すあたり、わたしも読者として成長しているということなのだろうか。
ある時期全然読めない本を時間が経た後に再び挑戦してみると、読めてしまうということも少なくないし、再読ということには大きな価値があると思うのだ。
勿論、死ぬまで何度読んでみても面白くない本というのも多いに違いないと思うけれど。


レキシントンの幽霊

レキシントンの幽霊