軽やかに、軽やかに

最近尊敬する人が、自分の失言に対する反論を受けて、いとも簡単に自分の意見を翻したばかりか、「誤解されても仕方のない言い方だった」というような旨のことをさらりと言ってのけた。
この人は社会において、押しても引いてもうんともすんとも言わないような確固たる地位を築き、その気になれば、その地位の上にあぐらをかいて、それだけで暮らせるような人なのだ。
そんな人が、自分個人のプライドなんてちっちゃい。そんなことよりも自分は人間としてきちんとしていたいのだといわんばかりに、先に述べたようなことをやってみせた。
しかも、
「A wise man changes his mind」
などという格言まで掲げて。

うーん。
かっこよすぎる。

人生の早い時期にこの人とめぐり合えたのは、おそらくわたしの人生の中でも上位1、2位を争うような幸運、いや、僥倖であろうと心底思う。

人はおそらく自分に自信があればあるほど頑迷になる危険にさらされている。
そして、この頑ななさということほどダサいこともあるまいと思うのだ。
頑なになればなるほど、あたらしいことを受け入れるキャパシティが減ることになるのだ。
あたらしいことを受け入れることが出来ないのなら、それはもう半分死んでいるのに等しいではないか。

上記の人はすでに齢40代も後半でありながら、まるで天使のような身軽さで自分の過失(ってほどでもないと思うのだけれども)を引っ込めてみせた。
なにごとも、軽やかに、軽やかに、というわたしの目指すままに。

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