サザンな大人たち


わたしたちはどんどん若くなっている。
殆どの人が自分の年よりも5歳から10歳若いと感じている。

「サザンな大人たち」は、「なぜわたしたちはどんどん若くなっているのか」ということを、さまざまな観点から検証している本だ。
著者(もしくは主人公)は40歳を過ぎても、20代の頃のようにクラブに出掛け、夜明けまで遊びまわり、聴く音楽といえば20代の若者が聴くようなロックばかりだ。
ある日ふとわが身を省みて、自分は本当に40歳なのか、と自問する。もっと40歳にふさわしい生活をすべきではないか、と。
しかし、そんな自問も妻には「他の生活をすればもっと惨めになるだけよ」と一蹴されてしまう。


本当にわたしたちは若くなっているのだろうか。
おそらく結論から言えば、わたしたちは本当に若くなっているのだと思う。
ずいぶん前に村上春樹氏は「成人式は30歳にやるべきだ」というような旨のことを言っていたように思うし、これにはわたしも大賛成。
最近の成人式の有様を見ても、どう考えても20歳という年齢が成人するのにふさわしい年齢とは思いがたい。
でも本書はそういうことを言っているのではない。
わたしたち(と著者が呼んでいるところの人々。つまりおそらくは30代半ばから40代以降の人々)が思春期から抜け出さなくなったからといって、子供たちの成長が遅れているわけでは決してないからだ。
なぜなら、子供たちの身体的な発達は、良質なたんぱく質のおかげで、どう考えても早まっている。
問題なのは、ある一定の年齢を超えた大人たちが、思春期にとどまり続けているということなのだ。


この本によると、世界的なデザイナー、マイケル・コースは、「女性たちは年をとるのをやめた」と言い放ったらしい。
35歳の妻は夫の若い愛人とまったく同じ体型を保っている、と。
この発言に賛同するかのように、数年前のUSヴォーグでは年齢特集をやった。
つまり、20歳の孫娘と、45歳の娘と、65歳の母親がみんな30歳のように見えるような特集を組んだのだ。
これは長い間、年齢などというものは存在しないというようなフリをしてきたファッション誌においては画期的な特集だったが、ちょっと考えれば、今ではもうこういう特集が「タブー」ですらないのは明らかだ。
だって考えて欲しい。
ハリウッドで人気がある女優はいったい誰なのだろう。
それは、34歳のキャメロン・ディアスであり、ニコール・キッドマンであり、40過ぎのジュリアン・ムーアだ。
もう殆ど全員が30代に脚を突っ込んでいる。
彼女たちがいい例になっているように、こういう状況で「わたしたちは別に若くなんてなってない」というのは、殆ど不自然なほどだ。


こういったように、本書ではわたしたちの若さについていろいろな面から考察を重ねているのだが、いかんせん最後の決め手に欠ける印象は否めない。
勿論、テーマがテーマなので、これといった結論を持ってくるのは難しいだろう。
でもそれなら、もっとフィクション寄りのコメディ路線で仕上げてもよかったような気がする。
フィクション(のように思える)の部分と考察の部分が中途半端に交錯するという構成は失敗だったのじゃないだろうか。


とはいえ、この問題提起自体は面白かった。
うちの家系は全員が恐ろしく若いので、これまであまり気にしていなかったが、確かに周囲の年長の友人は、親の時代のその年齢の人々よりもずいぶん若いように思えるのは事実なのだ。


サザンな大人たち

サザンな大人たち

チエちゃんと私

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