泣いてすっきり?

Ura2007-02-28

先日読んだ、名越康文氏が雑誌に寄稿した文章について。

最近「泣ける映画」をはじめとする「泣ける」なんとか、っていうのを求める人が多い。
泣いてすっきりするのが目的で、そういう映画やらテレビを観るっていう人のことなのだが、
確かに、泣いて涙を出せば、精神的な汚いもの、というか、心の中でオリになってたまっているものが外に出るため、ストレス解消になり、その分、泣いたあとはすっきりしたような心持になる。
でも、「泣いてすっきり」すること自体を目的として、「泣ける」映画やら本を求めるということは、「泣く」という行為がエステのようになってしまっているのではないか。
しかも、安易に「泣く」ことによって、心の深い部分まで降りて行くことが困難になるのではないかというのが、彼の趣旨だ。

この名越氏の文章を読んで、わたしがいわゆる泣ける映画やら番組を嫌っているのは、やはり理由のないことではないのだな、と思った。
確かに「泣ける」映画というのは、「泣く」ためのシステムが成立しており、それを観ていれば涙が出るように作ってあるのだが、あまりにも「泣いてください」然としたシステムが透けて見えるあざとさが、わたしはすきではない。
勿論、「泣く」ことによってストレスを解消するのも、個人の勝手なのだが、あまりにも安易に「泣く」行為を手に入れることで、深い感情まで降りていけなくなるということは、やがて人格的にも欠如するものが出てくるのじゃないかと、ちらりと思った。

毎度のことではあるのだが、こういうことを改めて考えさせてくれた名越氏に感謝。