スローターハウス5

カート・ヴォネガット著「スローターハウス5」読了。


第二次世界大戦中、ドイツで捕虜になり、アメリカに帰ってきたビリーの話。
ビリーはその後、検眼医として大きく成功し、
家族としあわせな日々を送っていたが、
ある日家族と一緒に乗った飛行機が墜落してしまう。

そして
生き残ったのは彼だけだった。
そういうものだ。


この
「そういうものだ」
というフレーズがこれでもかというくらい出てくる。
「そういうものだ」
って
That’s how it works?
That’s how things go?


とにかく、
そんなこんなで一人だけ生き残ったビリー。
病院を退院するや、
宇宙人に拉致された話をみんなに伝えようと、NYへ旅立つ。


彼によると、
宇宙人に拉致されたビリーは、
宇宙人によって「地球的ではない」教育を施され、
時間というものがぜんぜん地球的ではないものであることを知ったそうな。
そして
ビリーは時間を前にも後ろにも上にも下にも
自由に行き来するのである。
つまり、
彼は現在病院のベッドにしばりつけられているビリーでありながら、
戦時中ドレスデン爆撃のさなか、途方にくれていたビリーでもありうるという
ぜんぜん地球的ではない同時瞬間的存在なのだ。


「ぜんぜん地球的ではない」
と何度も書いたところだが、
実は時間がいま、わたしたちが使っているようなものではないということは、
アインシュタインが実際に言っていたことだ。


時間は直線的に存在しているものではない。
つまり、過去の後に現在があり、そのあとに未来がくるというのは便宜的かつ暫定的な取り決めであって、
たぶん時間というのは、
すべてが同時進行しているものなのだ。
現実的に。


かんたんに言えば、
今ここで「スローターハウス5」について考えているわたしがいるのと同じ瞬間に、
生まれたばかりの新生児のわたしがいて、
その同じ瞬間に、
死ぬ直前、白鳥の歌をつぶやいているかもしれないわたしがいるのだ。
ややこしいが、
この考えは、それほどとっぴにも思えないのだから不思議で、
むしろ、
そうだったのか!

膝を打ちたくなるような痛快な考えのような気がする。


時間のこと。
もっと考える余地があるなあ。
じかん。